【書評】もう少し、ぼくは勉強して、相対化しなければいけません。
フレーク・フェルトハウズさんとヒュバート・ウィンタースさんが書いてリヒテルズ直子さんが訳した『イエナプラン教育ってなに?』を読みました。
先日のエントリーで、今の教室のよくないことをたくさん書きました。
それは、やっぱり教室が、教育が好きだからなんだと思っています。可愛さ余って憎さ百倍、的な。
伝統的な教育が日本の公教育に据えられています。それでも、色々な場所でオルタナティブな教育が展開されています。
イエナプラン教育もその一つです。調べてみると、来年2019年に日本でもイエナプランスクールが誕生するようです。とてもワクワクするような話があるのですよね。
さて、なんでワクワクするのかというと、ぼくの解釈ではイエナプラン教育はとても緩やかで、でも人間的な教育が展開されているからです。押し付けられた教育課程を子どもが履修していくのではなく、理念に基づいた学びが尊重されるからです。
どうしても今の日本の公教育との対比になってしまい、しんどいのですが、日本は同質な集団を効率よく、同じ程度の品質に成長させるという側面があります(同学年集団で、学習指導要領に則った一斉授業がそれに当たります)。
もちろん、これを受けてのカウンターカルチャーとして、学びの共同体であったり『学び合い』、協同学習など様々な学習活動が展開されているのではありますが、それもまだ、ぼくの周りでは主流ではありません。
ちなみに、これらは構造の問題であって、だれかの責任という個人に当たるものではないですよ。
そんな流れの中にいると、イエナプラン教育で行われているようなサークル対話や、個別学習の時間がとても尊く感じられます。あたたかみがあって、人間的な活動がそこにあるように感じます。もちろん、イエナプラン教育の実践においても、生々しいしんどい部分が存在するのでしょうけれども。
もう少し、ぼくは勉強して、相対化しなければいけません。