ペースト状です

たぶん、そういうことです。

【読書】わからなさと向き合う作品。レムの『ソラリス』

 

 

宇宙に飛び込むのはSFの醍醐味ではないかと思っています。

先日『幼年期の終り』のエントリーを書きましたが、続いて『ソラリス』を読んだのは良かったなです。

ソラリス』と『幼年期の終り』の共通点は未知との遭遇で、決定的に違ったのは

人類は「それ」にコンタクトを取ることができるかどうか

というところです。たまたまこの2冊を読んだので、ぼくの中では2作日間に明確なコントラストが浮かび上がりました。

 

ソラリス』は惑星ソラリスと人類のコンタクトを描いています。その過程で、人間の深層心理を形取るソラリスの振る舞いに主人公の名前のケルヴィン他ソラリス研究者たちが翻弄されていく、という話です。

サスペンス的な展開をはらみながら、ラブロマンスになり、しっかりとSFに戻っていきます。

 

人間っぽさって、なんでしょう。

物語の中で、ソラリスが作り出した主人の元恋人ハリーは人間らしい健気さや不安定さを持っています。しかし、それは人間ではありませんでした。ソラリスが作り出した粒子の塊でした。

 

わからなさと向き合う

この物語は、主人公ケルヴィンの目線で描かれていきます。結局同僚がなにをやっていたのかは全容が明らかになりません。この本を読んで全部がすっきりするということはないのです。

この本から得ることは、主観では理解し得ないものもわからないものも多く存在するということです。ケルヴィンは恋人ハリーの偽物のことを大切にしながらも何一つわかりませんでした。体の構造も。彼女の行動も。

惑星ソラリスとのコンタクトなんて、作品の中でほとんどできませんでした。長い時間をかけて読んでいきましたが、多少一方的に不確定なことを「知る」ぐらいです。

なにもかもがわからないのです。

これが未知との遭遇の本質なのかもしれません。本当はぼくたちは他者と向き合った時に何もわからないのかもしれません。相手が人の形をしていても、自分とは同じではないのだから。

 

いろんなイデオロギーがあり、他者とぼくは違う。まずは「違う」「理解しあえない」を腹の底におくことが誰かとコンタクトをとるために大切なのではないでしょうか。そんなことを考えます。

 

余談

ソラリスを読んでいく上で、非常に辛かったのは本の中で描かれていく架空の学問「ソラリス学」。

本当にこの説明いる?いらないよね。

ソラリスが人間からすると圧倒時に不規則な理解し得ない存在であることを印象付けるための展開なのですが、長すぎて苦しい。

丁寧なあとがきを読むことで、無駄じゃないことが書き添えられているので、辛くなったらあとがきに助けを求めましょう。