ユダヤ人と故郷をめぐる問題『精読 アレント『全体主義の起源』』を読む 第一章
第一章『全体主義の起源』以前のアレント
第一章の冒頭では、ハンナ・アレントがどんな人物かが語られています。ユダヤ人ではありますが、伝統的なユダヤ教という方ではないようです。
ユダヤ人としてのメンタリティ
ユダヤ人が他の民族的少数者と異なるのは 、彼らが 「母国 ( M u t t e r l a n d ) 」をもたないからである 。彼らはどこにも帰るべき故郷 、頼るべき母国をもたない唯一の少数者 、その意味において他と際立った少数者なのである 。(位置227)
ユダヤ人の枷でもありながらアイデンティティー的なことは母国を持たないことです。この感覚は島国で生まれ育った僕にはわかろうとしても分かり得ない感覚です。
アレントも「抜きんでたマイノリティ」とユダヤ民族を表しています。
ユダヤ人が立ち上がる「べき」時
いまこそユダヤ人は武器を取ってヨ ーロッパ解放の戦いに参加する 。これはユダヤ人にとってかつてなかった解放のチャンスである 。諸民族の自由と民主主義の敵に対する戦いに参加することによってはじめてユダヤ人は自らの政治的解放を勝ち取ることができる 。(位置251)
ナチズムという強大な共通敵が現れたことを、アレントは好機と捉えます。シドーを倒すために、3王子が集まるのと同じですよね。それを期待していました。が、実際にはそうはなりません。
一九四二年七月二二日にゲット ーから絶滅収容所への大規模な移送が開始されたが 、ナチスが当初怖れていた抵抗は起こらなかった 。 「二万から四万のユダヤ人が進んで移送に協力した 。ポ ーランド地下組織の警告のビラを無視して 。住民たちは 『恐怖と熱狂的な希望の間に囚われて 』いた 。ある者は 『立ち退き 』は単なる移住にすぎないかもしれないと期待し 、ある者は自分は措置の対象にならないだろうと高をくくっていた 。人々は抵抗が確実な死を意味することになると怖れていたし 、抵抗すればゲット ーの大量処刑が行われるだろうと怖れた者もいた 。ユダヤ人の一般的意見は抵抗よりも幻想の方を選んだので 、戦うことを望んだ少数の者はそうした責任を取ることに怯んだのである 」 。(位置263)
ちょっと長めの引用です。
この場合のユダヤ人が責められることはないです。相手がどれだけ非人道的な振る舞いをするかなんてわかりっこないわけです。結果から見れば、大きな過ちだったのでしょう。もちろん、アレントはこの時点で危機感を持っていたと想像します。
ユダヤ人の扱われづらさ
ユダヤ人は連合諸国民と共に闘っているにもかかわらず 、敵でも味方でもない 「無人地帯からの客人 」として扱われ 、他の諸民族と対等の存在としていまだ認められていない 。(位置292)
母国の土地を持たないというの難しさ。
そしてパレスチナ問題へ
ちょうど他のアメリカの諸民族の多くがヨ ーロッパにその母国をもっているのと同様に 、アメリカのユダヤ人にとってパレスチナは 「ヨ ーロッパの母国 」となる 。(位置346)
ここで聖地エルサレムが出てきます。やはり、自分たちの土地が必要になります。ユダヤ人の心の故郷はパレスチナです。そして、そこにはアラブ人もいます。自分たちの土地を得るための戦うという手段もありますが、アレントはそれは進めていません。
『勝利した 』ユダヤ人はどこもかしこも敵対的なアラブの住民に囲まれて生きていくことになる 。絶えず脅かされる国境の中に閉じ込められて 、物理的な自衛の必要に追われて他の一切の利益や活動は埋没してしまうほどになるだろう 。(位置391)
万が一、パレスチナを自分たちの土地・母国にすることができたとしても、周りはアラブの住民という自明の事実。そして、パレスチナを追われたアラブ人が生まれてしまうことを危惧しています。
第一章のおわりには、ソビエトで認められるユダヤ民族とソビエトの強硬的な態度への懸念が書かれています。そして、
全体主義を語ることは、ユダヤ人を語ることと同義なのかなと感じました。
感想
最後のパレスチナ問題は、昨年12月にトランプ大統領によって新たな展開を見せました。
https://www.mag2.com/p/news/339197
強硬的な態度で「エルサレム首都認定」を発言しました。その後、続報がないので上の記事にあるようにブラフを立てただけなのかもしれません。しかし、パレスチナとイスラエルの対立を色濃くすることは、アレントの懸念した不毛な争いに一歩近づくことでしょう。
やっぱり1記事あたり一章ずつのまとめがちょうどいい感じです。