谷崎潤一郎の『卍』を読みましたマジ卍
年末年始はどうも他の誘惑が多く読書に時間を割くということが少なかったように思います。スマブラが忙しかったり、食べ過ぎて読書する気にならなかったり、食べた分のダイエットで忙しかったり。全部言い訳ですね。
谷崎潤一郎の『卍』を読みました。
そうですマジ卍でした。
柿内園子という女が主人公です。この女が「先生」と呼ばれる人物に向かって自分の体験を語っていくという一人称の物語です。先生は一切ストーリーに関わってきません。ただ、聞くだけです。少しだけ園子の語りをわかりやすくするために多少の整理をする役割ではありますが。
さて、問題は柿内園子がどのような体験をしたのか、ということです。この女は結婚をしています。旦那の許可を得て、美術学校のようなところに通い始めたお嬢様です。そのお嬢様が学校で恋をしてしまうのです。
徳光光子というお嬢様に。そうです同性愛です。
1929年に書かれた作品ですので、かなり先を行っていますよね。もちろん、この時代同性愛なんておそらくメジャーではない事象の一つです。その同性愛を直接的に性的な表現こそ少ないけれども、読者にかなりの部分を想像させる形で描いています。(Wikipediaで調べたら、卍でエロゲが作られるという凄みを感じる)
卍のなにが印象的かというと、人の描き方がえげつないです。
光子というあまりにも美しく、あまりにも自由奔放なお嬢様。
光子を愛し、その愛ゆえにあまりにも精神的な未熟さを露呈してしまう主人公園子。
同じく光子を愛し、歪んだ性愛をもつ綿貫という美男子。
作品唯一の良心、園子の旦那。
4人がぐしゃぐしゃに交錯していくのがこの作品の醍醐味です。異常なまでの依存性と、愛するがゆえにさらけ出されていく人間の未熟さが全開です。
読みながら、この人たちやべえな、と何度思ったことか。マジ卍。
年が明けましたけれども、新年の1冊にぐしゃぐしゃした愛憎劇をよろしければ。