ペースト状です

たぶん、そういうことです。

太宰治の『斜陽』と『津軽』

太宰治の『斜陽』と『津軽』を読んでいたんです。先日まで。高校生の時に『人間失格』を読んだことがありました。「こりゃあ合わないな」と思っていました。でもね、30になった今読むと味わいが違うんですよ。太宰作品。僕も大人になったんだなとちょっと感心しちゃいました。結局『人間失格』はまだ読んでいないんですけれども、きっとビビットくるんだろうなぁ。

 

津軽』僕、弘前にいたことがあるんです。というか高校から大学まで弘前だったのでがっつり『津軽』の舞台で過ごしていたんです。読んでいるとね、時代は全く違うんですが、記憶の中の弘前が蘇ってくるんです。太宰の描写がいいのか、それとも僕がしっかりと津軽の成分を体の中にしまい込んでいるのか、そういう郷愁の思いにかられる素敵な作品でした。これが『津軽』にゆかりのない人が読む分にはどうなんだろうと思ってしまいました。黒石ってどこよ?とか五所川原ってなによ?とか。竜飛岬ってどこよ、とかね。もちろん津軽人の愚直な性格が作品のあらゆるところに散りばめられていて微笑ましいところではありますけれどね。

 

そして『斜陽』。簡単に言ってしまえば没落貴族姉弟の数奇な運命なんですが、すごく

 

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ふわふわとしたお母様と、世間知らずだけれどもしゃんとしなきゃと思っている姉かず子、そして戦争から戻ってきたダメダメな弟直治。お母様は終始ふわふわふわふわしていて味わい深いし、直治も酒を飲んではどっかにいなくなるというダメっぷり。かず子視点で語られるお嬢様のうぶでいながらに大胆な恋心。これを描ききる太宰治の変態性がすごい。

かず子が弟の師匠に何通もラブレターを書くんですけれども、その内容のあまっちょろさがたまらない。よく描ききるな、と。本当に

 

しみる

 

津軽』は個人的にどうかと思うけれども『斜陽』はいい本でした。どちらも青空文庫で読めるので、時間があれば。