ペースト状です

たぶん、そういうことです。

メンタルダウンした女性同僚を支える距離感の話とメタ認知。

年末になりました。年末って好きです。仕事のあれこれに気にかけなくてもいいから。リソースをそこに割かなくていいって、すごい楽です。仕事が好き嫌いとかそういう次元ではないのですけれど。

年末なので、自分を戒めとふりかえりにちょっと重めのエントリーを書きます。

 

同僚がストレスでメンタルを病んでしまった。

今年の一番悔しかったことは、大切な同僚が仕事の休みに入ってしまったことでした。いつもニコニコと仕事をしていて、見ていて気持ちの良い女性です。彼女が異動でこの4月から一緒に働きはじめたのですが、その働きぶりから非常に信頼ができる人です。

彼女はその能力の高さからいくつもの仕事を任されていました。何か人前に出ることがある度に進んで出てくる、そんな感じです。きっと彼女もそれ自身に誇りを持っていたと思います。周りもそれを認めていました。

でも人には限界があります。

8月から、出勤の時間がギリギリになり、少しずつ休みをもらうことが増えてきました。そこからはあっという間でした。数日の休みをもらうようになり、長期の休みに入っていきました。

 

どこまでコミットをしていくか問題。

彼女がしんどそうになりはじめた時に僕は何もしてあげられていませんでした。行動をはじめたのは、休みがちになりはじめてから。積極的に声をかけ、話を聞いてあげる。体の不調について「これって変かな?」と問われたら、「特別なことなんてないです。みんなそんなもんです」と答える。彼女は、自分の体の不調を十分に把握できていませんでした。なぜ体がいうことを聞かないのか。どうして寝ることができないのかを、原因不明であると判断してしまっていました。それは働き過ぎからくるものなのに。漠然とした不安を抱えているようでした。

僕のアプローチは、疲れの延長線上に症状があるだけで、ゆっくりと休むことができればすぐに落ち着いてくると伝えること。そして、みんなが彼女のことを心配しているし、奇異な目では見ていないことを伝えました。休みがちになって、気持ちが弱っていると、周囲の目線すら気になってしまうのは辛そうでした。

僕の方に話をうつすと、正直2人きりで長い時間相談をしているのも割にはばかられました。この一連の流れで僕にある裁量権はどこまで彼女にコミットするか、ということでした。僕は既婚者で、妻がいます。同僚の女性と2人きりになりすぎるのは、やはり誤解を招いてしまう可能性が高いです。食事には誘えません。でも、おそらくそういうアプローチは彼女に必要だったんじゃないかなとは思っています。そして、僕もウェットなので、ついついどこまでも入り込んで手を差し伸べようとしたくなる性質なのです。まあ、食事に誘うことはありませんでした。冷たい判断と自分自身では思っているのですが、僕には僕の人生があって、彼女を救うために妻との関係を台無しにはできないのです。全部は取れない。トレードオフです。

 

徹底的に自分自身をメタで見る力を。

僕は結構自分自身に気を遣っていきています。体の面でも心の面でも。なるべく嫌なことはちゃんと嫌だと認めてあげるし、体が疲れていたら早く寝させてあげることもあります。頭と体は案外ずれていることも多いので、どっちを大切にしてあげるか判断することも大切です。

結局、彼女が彼女自身を苦しめていた原因は、自身を一歩引いてみるということができていなかったということです。「これに足を突っ込んだら、やばいよな」とか「このくらいの仕事ならなんとかいける」という判断をおそらくしなかった(もしくはできなかった)と思います。そのぐらい日々の仕事にスピード感が求められていたし、立ち止まれなかったのかもしれません。

マインドフルネスにも関わってくるのですが、やはり忙しい時こそ、一歩立ち止まり一呼吸ついてみることだと思っています。その一呼吸すら取り上げられてしまった時に、あれよあれよとめまぐるしさの波にさらわれていってしまいます。

僕自身も、同僚に深く関わっていこうとしてしまおうとする自分がいることに気づいていました。有事だから妻よりもこっちが大切なのではないか、と。でも一歩立ち止まって考えてみたら、妻との付き合いの方が大切ですよね。世の中にはそんなことでも両立させられてしまうスーパーマンがいるのは知っています。でも僕は普通の人間なので、一人の人間にしか誠実でいられない、そんな気がします。つい深くまで関わってしまおうとする自分も観察するメタ認知は大人は必ず持っているべきだと思います。

 

これからどうなる?

ゆっくり休んで新しい年度には彼女は仕事に帰ってくる予定になっています。その時までに僕ができることはありません。せめて、彼女が戻ってきた時に、ちゃんと話を聞いてあげられる同僚ではありたいと思います。

もちろん、話を聞くというのは一方的に悩みを受けるのではなくて、上に書いたような柔らかいところも差し出す必要がある気がします。それをすることで、関わりが深くなっていく恐れもあります。でもそれは、心を支えるコミュニケーションをするためには、かなり必要なことだと今のところでは思っています。

 

 

結構しっかり書けたかなと思っています。虚実まぜまぜです。