ペースト状です

たぶん、そういうことです。

業が深いです。

特別支援学級は業が深いと思います。

 

学校にいるということは、すべての子どもたちに学習する権利が与えられている。

学習という行為がされるときに、教師や学校に適応するかどうかという問題がある。

そこに適応することができない場合、扱いづらい子や、特別な支援が必要な子と認められ、「その子が学びやすい環境を整えるため」という正義の名の下に、特別支援級ないし特別支援学校、という選択肢を突きつけられる。

 

子どもたちがふるいにかけられ、こぼれ落ちてしまった子たちの受け皿が特別支援学級となる。もちろん、その子の発達に必要なんだよ、環境を整えるのが大切なんだよ、そこには専門性が必要なんだよ、と言ったらそうだ。でも、どんな子でも学べる教室を作ろうという思いを持たない教員が一定数いることで、無意識な排斥の流れができてします。水が高いところから低いところに流れるように、これはとても簡単なことだ。この逆は簡単ではない。

 

今、特別支援学校があり、特別支援級がある。そんな中で、どの子もみんなと同じ教室で学ばせたいんだ、そんな声は届かない。そんなの無理だろ?と一蹴されてしまう。無理だろと思った時点で、自分自身のふるいに子どもたちをかけてしまっている。こんなに寂しいことはない。

 

特別支援級は業が深いです。

特別支援という扱いがあるから、断然マイノリティーです。とっても厳しいです。学校の中で、いろんなところに働きかけて、少しずつ前に進まなければいけないと思います。

(あれ?俺転職したいんだよな…?あれ?)