必要な時に必要な本を『飼い殺しさせないための支援』
仕事にちょっぴり接点がある本をたまに読みます。今日はこの本。
今の僕の課題にぴったりと合致するような思いで読みました。
僕も支援を中心に仕事をしています。日々、障害を抱えた人間にシステムがどれほど冷たいのかを痛感しますし、支援と無縁であった人間の支援が、される側の人間の、またはそこに関わる人間の持つ需要に対して全くのトンチンカンさで行われていることに虚しさを覚えることもあります(うん、それでも仕事は楽しいですよ…)。
全く話は逸れてしまった。
そう、僕の課題の話でした。ある支援が必要なお子さんに対しての僕のアプローチは質的に問題を抱えています。信頼関係を築くことはできる。話を聞いてもらえるようになる。しかし、ペースト状がいなければいけないよ…というようなある種の依存の状態を作ってしまうのです。最近自分自身に突き付けられた課題でした。そして、僕の今の所の答えはシステムを構築することになります。伝えたいことを誰が伝えても伝わるように流れを作ってあげること。そんなことが必要だなと思っていました。
しかし、
この本を読んで「それだけじゃあ足りないよ」とヒントをもらったように感じます。著者の高原さんは、支援が必要な方に対して、まっすぐに「彼の信念に基づいた現実」を突き付けているのです。
幸次郎は、僕が自傷や他害を認めない人間であることをよく知っています。彼は別室での来客対応を終えたばかりの僕を訪ねて来て、本日の惨状をたいそう情けない顔で報告してきました。静かな口調です。
しかし、悲しいかな、彼の言語能力では、事情をまったく知らない僕に惨状をイメージさせることはできません。それでも、幸次郎が大変後悔しているということは伝わってきました。
「高原さん……。頭を叩いてしまいました」
「頭を叩いたら、頭がおかしくなっちゃうぞ!」
「はい」
事情を知らない僕の言葉は、虚空に向けて発した声のようにむなしく、それでも彼は、涙目で返事をします。(P 56)
自傷はいけないということをまっすぐに伝える、この力。自分の生き方に葛藤をしながらもしっかりと一つの答えを出している人間にしか出せない言葉です。
長年、僕のような仕事を続けていると、自分のことを「正義の名を語る悪魔」ではないかと疑ってしまうことがあります。また、伸るか反るかという局面で、逃げるに逃げられず対象者と向き合うとき、それを修羅場と表現したくなるようなことも多々あります。(P122)
正義は苦しいものです。社会的に正義なことを突きつけることへの葛藤を乗り越えてきたことも描かれています。こういう自分の中の積み重ねは、どうも非常に弱いです。
でもこの本からは、自分自身がしっかりと現実と向き合うこと。「子供だからね」という甘えに逃げることで不幸になるのは誰かを切実に感じることの再発見ができました。
こういう必要な時に必要な本に出会えることに感謝をしなければなぁと思う、そんな話。