ペースト状です

たぶん、そういうことです。

キルヒアイスから銀河英雄伝説

最近勤勉にだれのためにもならない話をつらつらと書いている。チラ裏ってやつだけれども、本当にチラシの裏に書くことなんて何もない。昨日、Twitter上のトレンドに「キルヒアイス」が入っていて、とうとう来たか、という感じで眺めていた。銀河英雄伝説の話だ。ノイエ版からファンになったぼくだが、1期終了とともに、その魅力に惹かれ10巻+外伝を読破してしまった。あの作品が今から40年ちかく前の作品であると言うことに愕然とする。そのくらい、色褪せない作品だし、ぼくにとっての民主主義を揺さぶってくる。ぼくのMacのメモ帳には『銀河英雄伝説』というフォルダーがあって、そこには登場人物の発言や、描写が保存されている。というかコツコツと打ち続けている。別にどこかに引用する目的もないのだけれども、シコシコと集めている。そういうことが好きなのだ。

 

”民主共和主義の対極に立つ思想は、救世主待望思想である。人民には、社会を改革し不正を矯し矛盾を解決する能力がないので、超絶した偉人の登場を待つ、という考えだ。自分たちはなにもしなくとも、いつか誰か、伝説の英雄があらわれて悪竜を退治してくれる、という他者依存の精神は、アーレ・ハイネセンがとなえた“自由・自主・自律・自尊”の精神と、けっして相容れぬものである。”

10 P176

 

こんな感じだ。最高だ。

 

なんとなくこの文章の引用をもってきたが、今の社会を眺めていると、どこにおいても上の引用のような思想がその影を潜めているように感じる。かくいうぼくもきっと誰かが何かをしてくれるのではないかと、期待してしまう時もある。しかし、ぼくらの市民主義において、誰かが何かを成すのではなく、ぼくらがせっせと地道な合意形成、もしくは相互了解のもとに、細々と足元から民主主義的なものを作り上げていかなければいけないのではないだろうか。そんなことを色々な場面で感じる。かなり抽象的な話になってしまった。