ペースト状です

たぶん、そういうことです。

コメダ珈琲から貸し借りの話まで

これはコメダ珈琲に行った時の話だ。コメ牛が食べたくて行ったのだけれども、お店の前に着いたらドアに張り紙がはってある。「コメ牛は大反響で在庫切れですよ」というやつ。軽やかに帰ろうかとも考えたのだけれども、久しぶりのコメダ、と気持ちをリセットして入店した。店内はそこそこに混んでいるが、一人なら座れるようだった。ハンバーガーと蜂蜜アイスコーヒーを注文し、読書をする。最近読んでいるが、なかなか読み終わらない加藤典洋の『戦後的思考』を広げ、もぞもぞと読書を始める。合間にスマホゲームをぽちぽちやている間に(こんなことをしているから読み終わらないのだ)、ハンバーガーが届いた。舌がバカなので、だいたい何を食べても美味しい。今回のハンバーガーも問題なく美味しかった。舌がバカだから幸せなのだ。

 

食事を終え、いい加減に真剣に読書を始める。隣の席におばちゃんの2人組が座る。会話が耳に入ってきてしまうので、AirPodsを耳に押し込む。コンテンポラリーな、読書の邪魔にならない音楽を流す。しばらくすると、対角に座っているおばちゃんから声をかけられた。「お兄さん、これ食べて」。カレーカツサンドだ。おばちゃんは辛くて食べられないらしい。いっぱい食べれることは嬉しいことだし、舌がバカだから、きっと美味しいはず。そう思って、ありがたく頂戴をした。「ありがとうございます」そんなことを言って。予想通り、多少辛くはあるが、カレーカツサンドもおいしかった。ここまではよかった。ここから世界に緊張が訪れた。

 

即座に感想を言った方がいいのか…?

いただいたものだ。「辛いですね」と一言いうのが、人情ってものだろう。しかし、おばちゃんはまた新しい会話に入っている。そこで間に割って入るのも憚られる。何も言わずにAirPodsを耳に入れるのも、申し訳なく、とりあえず読書を始めた。何かを言わないといけない気がするが、そのタイミングが見つけられない。だれかから借りを作るということは、再びその人に何かを返さなければならない。どんなに陳腐なものであっても、ささやかな一言であっても。それが返されないことには、すべてが終わったことにならない。でもぼくは、すぐに何かを返すことができず、悶々としたまま読書をした。自分がコミュニケーションおばけだったら、、、と悔やんだが30を過ぎて、そんな大学生みたいな悩みを抱えるのもどうかなとも思う。

 

そんな気まずい状況も10分したら、変化が訪れる。おばちゃんたちがお金の勘定を始めた。ここで、さらにぼくに追い討ちをかけるような出来事が起こった。おばちゃんたちの会計で、小銭がちょっと足りないようなのだ。試されているような気がした。カレーカツサンドをもらったのだ。百数十円のおつりを渡したっていいんじゃないか?そんな思いが頭をよぎる。バッグに手を伸ばし、お財布を確認しようか、いやそんなのはきっと迷惑に違いない、そんなことを考えていたらおばちゃんたちは席をたっていた。帰り際は声をかけやすい。「ごちそうさまでした。ありがとうございます」やっと言葉を返せた。

 

誰かに何かを施してもらうということにここまで抵抗を抱える人間なのかと改めて思った。よく職場の人が帰宅途中のぼくをみつけて、車に乗せてくれようと声をかけてくれる。ぼくはいつもそれをなるべく断るようにしていた。なんか申し訳ないからだ。ただ、今日のことを受けて、言語化の糸口を見つけた気がする。ぼくは誰かに借りを作るのが苦手なんだ。車に乗せてもらうということは、乗せたメリットをぼくは提供しなければならない。そういう気がしてしまうのだ。だから、避ける。