ペースト状です

たぶん、そういうことです。

そういえば『二十歳の原点』を読んだのでしたよ

特に書きたいこともないのだけれども、先日読んだ高野悦子の『二十歳の原点』について少し書いておこうと思う。

二十歳の原点 (新潮文庫)

二十歳の原点 (新潮文庫)

 

Kindleで買ったんだけれども、ずぅっとずぅっと寝かせていた、というかなんとなく放置していたこの本。しんどさを抱える人、という点では、昨日書いた『技法以前』と親和性が高いなぁと思って、つらつらと読み始める。

 

この本のことを本当に簡単に紹介をしておくけれども、高野悦子っていうチャーミングが女の子が6月に自死を選ぶまでの彼女の日記。最後の詩が本当にずしーんときて、読後感ががっくーんという感じ。あぁ、結局彼女は、切り離されて孤独にならざるをえなくなってしまうんだけれども、本を前半部分の軽快な女子日記が、後半部分になると中核派の眉を潜められる系のこじらせ女子に変貌していく様が、なかなかきつい。

きっと彼女は、だれか愛する人にだきしめてもらって、キスをしてもらったら、また人生が変わったんじゃないのかなとか読みながら考えていたよ、ずぅっと。

 

この『二十歳の原点』の凄さは、高野が自分を削り出すようにして書き続けた日記そのものにあると思う。だって、僕はあそこまで、内省を徹底して言語化できないから。でも彼女は極限まで言語化していく。自分をみつめて、皮膚をはいだ中身を日記に差し出していく。そんな高野の姿勢が日記になっている。本当にすごい。

なんだかコミック版がでているようだけれども、多分、本で読んだ方がいいよ。

軽やかに職場に立つって難しいんだよなぁ

 

職務をしっかりと遂行をするために、必要な技能を習得していく。

それはそれは当たり前のことです。というか、そういう技能習得への渇望みたいなものがなければ、きっと仕事ってつまらないですよね。でも、その技能を獲得するための理由とか、技能を獲得していく「ぼく」はどんな人間で、どんなことを考えているのか、みたいなことと向き合うことってあんまり多くないと思っています。

 

自分の軸が定まっていないというか、なんというかぼやぼやしているなぁと思っているときにこんな本に出会いました。

 

向谷地生良さんの『技法以前』

 

 

べてるの家。というのを皆さんはご存知でしょうか?

向谷地さんは浦河べてるの家の理事を務めていらっしゃるソーシャルワーカーさんです。

つらさを抱えている当事者に、当事者意識をもってもらうために徹底しています。

本を手に取ってみると向谷地さんのユーモアとおだやかさがビシビシと伝わってくるのです。精神病という、ともすれば重く苦々しい問題を抱えがちな当事者に「一緒に研究しましょう!」と無神経的にも、誰かが気づいたら引いてしまった一線をズカズカと踏み越えていく。そんな軽やかさがこの本にあるのでした。

当事者が抱えている問題を、たとえば「爆発型エンターテイナー症候群」と名付けて、本人の外に置いてしまうとかね。

 

 

ぼくも人と関わる仕事に携わっています。そこにはいくつかの問題を抱えた方もいます。そういう人と関わっていると、自然とぼく自身も重く考え込んでしまいがちです。

この本を読んでいると、そんな自分とのコントラストが明確になり、胸がチリチリとしてくるのです。「うっ、こんなに軽やかに問題に対応できていないっ」と。

ぼくも、軽やかに問題解決できるようになりたいなぁ。

カフカの『審判』は案外この世界を上手にあらわしているのかもしれない。

ボソボソと少しずつカフカの『審判』を読んでいた。『変身』は何度か読んだことがある。『城』はそのいつまで立っても城にたどり着かないあの感じに心折れてしまったことが思い出される。高校生のころだった。

 

典型的古典だから、ネタバレもかまわないと判断して、結末に触れていく。主人公のヨーゼフ・Kはなんの罪かわからずに逮捕され、裁判の中に「気がついたら」主体的に参加をさせられている。そして、なんの罪で逮捕されたのか、どういう裁判の過程を経たのか、何も説明なしに死刑とされる。

作中では、Kにはいくつかの進むべき道筋が提示され、それをKは時には真に受け取り、時には主体的に判断をする。最初は馬鹿馬鹿しいと思っていた逮捕に、気がついたら真剣に臨んでいるのだ。Kは自分で主体的に無罪になるような働きかけを行う。しかし、それが同時に裁判への主体的な関与の現れとなってしまう。それが滑稽でかつ、読み手としては「あぁ、Kが巻き込まれていく…」と思わざるを得ない。

 

Kを後押しするのは、裁判制度のパーツとなったあらゆる人たちだ。彼らは、Kがどんな罪で起訴されたのか理解していない。さらには、現在裁判がどんな過程に至っているのか、どんな状態なのかを一切知らない。誰かに「命令」や「指示」をされただけなのだ。愚かな市民が描かれている。Kはそういう愚かな市民を軽蔑しながら、泥沼にはまっていくのだ。

 

カフカの『審判』から感じ、学ぶことは、世の中はあまりに不条理で冷たいということだ。フィクションだからね、といってしまうことは簡単だ。しかし実際問題、僕たちの社会にも事の全体像をつかもうとしない人間はある程度いるだろう。指示を出されて初めて動くことができる人間がいるだろう。カフカの描く社会は今の社会の延長線上にあるのではないか。Kはそんな社会で、足掻きながら、そんな社会の1つのパーツになっていった。そういうどうしようもないものに抗う力を僕は獲得しなければいけない。

新生B'zのライブに行ったことを振り返って。

みんなはB'zを聞くだろうか。そうだ。おっさんデゥオバンドだ。数年前まで全く僕はB'zに興味はなかった。どの曲もおんなじに聞こえると母親が言っていたが、心底その通りだと思っていた。今でも思い出される。ミュージックステーションのスーパーライブを見るたびに、ステージに火を吹かせながら右へ左へ動き回る稲葉さんをなんならちょっと笑いながら見ていたものだった。

 

そんな僕も数年前にB'zファンの妻と結婚をした。交際を始めた頃には妻がB'zの大ファンだということも知らなかった。なんならB'zのファンとは結婚できない、という決まりも存在しない。まぁ、音楽観は合わないとは覚悟していた。それでも僕たちはミュージシャンではないので「音楽性の違い」で別離を歩むことはないと思っていたので、結婚をすることにした。

 

妻は僕のことをB'zのライブに僕を誘うようになった。僕はB'zのことを知らない。好きなものを共有したいというのは、カップルならば当然のことなのだろうか。僕にはその感覚はどうも理解できない部分はあったが「ライブ代をもってくれるならば…」と参加をすることにした。

ライブの初参戦は、心で泣き顔で笑っていた。僕はこの人たちにはついていけない。そんな風に思っていた。…その後の変遷を語るのは疲れちゃったから飛ばそう。

 

今回のライブからB'zはバンドメンバーを大きく変えた。YOUは何しにニッポンへにも出たシェーンをはじめとしたサポートメンバーを全て取っ替えたのだった。

ドラムのブライアン。ドスドスとしたドラムを叩く。

ベースのモヒニ。若くて派手な感じ。

ギターのYT。渋くてかっこいい。

キーボードのサム。若くて日本語もできる。

そんなメンバーに取っ替えたのだ。これまでのバンドメンバーで安定していたため、この変更は妻をはじめとするファンをかなり不安とさせたようだった。

 

ここからが僕の言いたいことだ。

B'zの新しい体制やばい。何がやばいって、今回のライブツアーで圧巻のパフォーマンスを見せた。ライブバンドとして生まれ変わったのだった。もちろん、これまでがライブバンドでなかったとは言わない。しかし、新生B'zは踊れるバンドになったのだ。YTの松本さんと双璧をなすようなギター。ブライアンのドスドスとした迫力のある低音と、モヒーニの派手に動き回るベース。それらをなぞり、うねりあげるようなキーボードをサムが奏でる。とんでもなくサイケデリックなバンドになってしまったのだ。硬派なロックバンドではない。時代に合わせてきたのだ。

今回のライブツアーでひっさげてきた新しいアルバムもB'zもどこか古臭くて、それでも絶妙に時代にチューニングをしている。オススメのアルバムとなってしまっている。

 

冒頭ではB'zに対して、ネガティブな意見を述べた。今でも手放しで「B'z大好き」というのは少しはばかる自分がいる。しかし、今のB'zを僕はとても評価したい。そして、そういう思いはどこかに書いて残されるべきだと思った。だから、ここにそんな思いを書き残す。

ゴイステとか銀杏が好きだったあのころの僕らに刺さるものがある。

Netflixで配信されていたので、みた『TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ』 

TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ

TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ

 

 

どんな映画かというと、

修学旅行中の主人公神木隆之介くんがバスの事故を自殺とみなされ、地獄に落ちてしまう。バスの隣の席に座っていたヒロイン森川葵が無事なのかどうか、そして、神木くんのことを好きなのかどうかが心残りで何度も人間として蘇ろうとチャレンジする話。

童貞感丸出しの映画だ。

 

ぼくはめちゃくちゃヒットしてしまった。昔ゴイステとかすこし大人になっても銀杏とかを聞いていた世代には、胸の奥でふつふつとするものがあるのではないだろうか。ヒロインへの憧れからの気持ち悪さや、青春時代の鬱屈が2時間の中にギュギュギュッと詰まっている。

それだけではなく適度に仏教感に基づく地獄ギャグと、小ネタの効いたロックギャグが散りばめられていて、

「なんなんだコレは…」→「そういう世界観なんだよ。この映画は」

と冒頭30分くらいで自分自身を納得させてしまうことができる。それくらいのパワーに溢れている。クドカンワールド全開なのだ。そう。童貞くさいからだ。

 

こんなにも童貞童貞と入っているのには理由がある。何を隠そう、30歳既婚にして自身の童貞っぽさが日に日に増している。この映画と強くハウリングしてしまう。

大人になっても大人になりきれない鬱屈した人間にぴったりの映画だ。童貞にもきっとおすすめだ。

あいちトリエンナーレ 情の時代に触れて

愛知県に行く用事があったので、ついでに今話題になっている「あいちトリエンナーレ」に行ってきた。ほとんど事前情報はなしで、なんなら知っていることは、津田大介氏が大炎上を起こして、「表現の不自由展・その後」は公開を中止した、というタイミングだった。

 

愛知県内の4会場で行われていて、1日じゃあ回りきることができない。そのぐらいのボリュームだった。今回僕が見ることができたのは、愛知芸術文化センターの展示だった。午前中という時間の縛りもあり、今振り返っても「あっ、また見にいきたい」と思っている自分がいる。

 

「表現の不自由展・その後」が見れないトリエンナーレはどんなものだったのか簡単に感想を書く。

 

かなりよかった。

僕は現代アートという世界には全く興味がない人間だ。しかし、多くの作品をぼんやりと、ときには惹きつけられるように眺めていると、そこには「人間」の存在を感じた。

動物としての「ヒト・ニンゲン」ではなく、考える存在としての「人間」を。

例えば、A11田中功起氏の作品。抽象画と映像で、様々な背景をもつ家族的なものを作品として閉じ込めている。映像作品の中に、監督?の独白がある。吃音に関して。それゆえに理解をしてもらえなかったこと。両親にすら。そして理解してもらえない世界への挑戦を続けた先にある、一つの席に座れることの責任感。あの作品の中では、個人が晒されていく中で、家族という集合体から、また違う自分自身を削り出していく作業が行われているんだと思った。

そう、人間を削り出していく感じ。

方向は違うかもしれないけれども、「テラスハウス」も集合体の中から「私」を削り出していく作業だと思う。あれは、スタジオメンバーの意見が強く入ってしまうから、削りだされている部分が直に出てきづらい側面もあるけれども。やっぱり誰かと一緒に暮らしていくということは、そういうことなのかもしれない。

 

A14dividual inc.のラストワーズ。これはamazarashiの「エンディングテーマ」を彷彿とさせた。あなたに残された時間は10分間で、その10分間で大切な人にどんな文章をかくのか。展示室にはたくさんのスクリーンとタイピングされていく画面。真っ白な背景にタイプ音がカタカタと響く。そのスクリーンも文章を書いては戻りを繰り返す。伝えたいメッセージが入ったりきたりしている。そのゆれに、思いの揺れを感じることができる。これも「人間」を絞り出す感じがあったのだ。

 

以上2つの展示は、愛知芸術文化センターの会場で入ってすぐに見ることができる。冒頭30分でそんな風に心を鷲掴みにされてしまった。「表現の不自由展・その後」のような体制批判のような作品も少なくない。会場には右腕に日本国旗を巻いた男性がスタッフに真剣な表情で何やらを話していた。

A20ユェン・グァンミン氏の作品には、戦争が本当に今あなたの隣に迫っている、肉薄していることが表現されていた。A13ヘザー・デューイ=ハグボーグ氏はディストピアへの警鐘が。

 

きっと僕はまた期間中に愛知を訪れることになるだろう。別に現代アートには興味がなかったのだけれども、「情の時代」に僕がみたいことがあるようだ。

 

ファーフロムホームと友人と。

今日は友人とスパイダーマンファーフロムホームの話をした。公開から随分立ったので、そろそろみておかなければいけないと考えたのは、僕と同僚の共通の見解だった。海の日の昨日、それぞれが、それぞれの場所で、みた。

 

その友人は、スパイダーマンのような服装をしたりする愛すべき人間で、僕は好きだ。ファーフロムホームは、ホームカミングよりも圧倒的に面白かったこと。エンドゲームを経て、大きすぎた物語を上手に上手にニューヨークサイズにダウンサイジングしたこと。そしてトムホランドが可愛かったこと。そんなことを話した。トムホランドが演じるピーターパーカーが、スパイダースーツを新調しているところにグッときたと、その友人はにこやかに話していた。

 

なんてことはない、他愛のない1日だった。しかし、僕はこれだけはいっておかなければならない。スパイダーマンファーフロムホームは絶対見るべきだ。